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イタリア豪華客船の出来事

costa_con.jpg
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

イタリアの豪華客船 Costa Concordia 号の座礁沈没事故。スケッティーノ船長が乗客をほったらかして船から逃げ出してしまった。誰もが信じられないと呆れている。でも、ここイタリアに長く住んでいると、「信じられない」ことは決して珍しくない。私は人間が起こす「信じられない」物語によく出くわす。

お客の前で平気でプライベートな電話を続ける、仕事そっちのけで彼女と一緒に出かけてしまう、自分達に落ち度があるのに逆切れする・・・。日常がこんなことばかりなので、今回の一件にはあまり驚かない。仕事への責任感が弱いと言われればその通り。自分が置かれている立場よりも、その時自分がしたいことを優先する。人間的と言えば人間的だが。まあ、とにかくそう割り切らないとこの国では生きていけない。いちいち腹を立てていたら、堪忍袋がいくつあっても足りない。

座礁した船に乗っていた日本人のコメントを聞いた。「船長が乗客を置いて下船しているなんて、呆れてものも言えない」そんな時、ふと思うこと。私たちは何を基準に「信じられない」と感じるのか?それは感じる側が、何処に住み、どんな教育を受け、どんな環境に属しているかで決まるのではないか。

話は変わるが、昨年の3月11日14時46分、大地震が起きた時、私は成田空港でバスを待っていた。地震を告げるアナウンスの中、私は何が起きたのかよく分からずしばし呆然としていた。情報は空港内のTV大画面だけ。携帯電話は突然不通に。その時、空港や航空会社の対応は素晴らしかった。職員の人たちは雪が降っているというのに薄着のままで、外に出されたお客様のために奔走していた。毛布や水を配りながら、「すみません、ご迷惑をおかけして」と声を掛け続けている。彼らにはまったく責任のないことなのに。こんなふうに相手を思いやる言葉があれば、争いなど起こらないのに。

こういう対応が当たり前の日本で生活している眼から見ると、やはりこの船長の対応は「信じられない」ということになる。 いや、今回の場合は何処の世界から見てもそう言われるかもしれない。

かつてのイタリア国王ヴィットリオ エマヌエーレ 3世は国民を置いてエジプトに逃げてしまった。終戦後の1946年、後を継いだイタリア最後の王、ウンベルト2世は国民投票で王位の座を剥奪され、ポルトガルに移住。一方、日本の天皇陛下は東日本大震災の時、国民のためにお祈りを捧げて人々の心を励まし続けた。とても対照的だと思った。

これは何千年もの長い歴史が作り上げた民族のアイデンティティの違いなのではないだろうか。常に他国から征服され続け、信じるもの、頼るものが自分しかなかった国。かたや、島国の中でともに信じ合い、助け合いながら暮らしてきた国。こういう惨事が起きた時、私はその民族固有のDNAを感じる。良い悪いというより特性なんだなと思う。

毎日、TV番組はこの豪華客船事故の報道で持ちきりである。でも、時が経てばこの事件も歴史の中の出来事として人々の記憶の底に仕舞われていくのでしょう。

イタリアで人間賛歌

ひとは皆、それぞれの人生を背負って生きている。
十人十色、そこには人の数だけ人生がある。

私にとって、出会いとはその人の人生を垣間みること。
しばし、その人の暮らしの中にそっと身を置いてみる。
私の五感をいっぱいにつかって、その人と同じ空気を吸い、同じ音を聴き、同じ景色を見る。
すると、ふっとその人の人生に寄り添うことができる。
そんな時、少しだけその人の人生を私も歩んだような気持ちになる。

私は、イタリアでたくさんの人たちと出会ってきた。
たくさんの美しい人生を垣間みてきた。
胸がキュンとするような新しい出会いの数々。
そのたびに、私は「人生ここにあり」と歌う彼らの人間賛歌を聴いてきた。

このブログでは、私がイタリア暮らしで出会った数々の素敵な人生を紹介します。
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