So-net無料ブログ作成
前の10件 | -

あのバスを追いかけて !

autobus.jpg


クルマを運転して、街中の大通りで信号待ちをしていた時のこと。
路上にいた若い30代くらいの女性がチラチラと私を見ていた。
知り合いかな・・・と思い、私も彼女を見る。
でも彼女は、私をと言うより、クルマの後部座席を見ていた。
何だろうと思っていると、彼女が笑顔で話しかけて来た。
“ 娘を幼稚園に迎えに行くところなのだけど、バスに乗り遅れちゃったの。次のバスストップまで乗せて行ってくれないかしら? あのバスに乗らなくちゃならないの ”
何が何だか分からないけれど、あまりにも彼女の話すタイミングが良かったのと、笑顔がなんとも言えず、人懐っこかったので、思わず “ どうぞ ”っと言ってしまった。

長年イタリアに住んでいる方には、“ 甘すぎる ”、” 危険 ”と言われてしまうかも知れないが、直感というのでしょうか・・・大通りで人が溢れているし、何かあったら私が窓を開ければ良いのだ・・・と考えた。
さて、彼女は直ぐに “ ありがとう ” と言って後部座席に乗り込んで来た。

“ ほんのチョットの差で、バスに乗れなかったのよ、次のバス停までで良いからあのバスを追いかけて!”

彼女の必死さが伝わって来た。どうしてもあの目の前を走っているバスに乗らなければならないのだ。一瞬のうちに私は見ず知らずの女性の “ 運転手 ” になってしまった。

のろのろしているクルマが多く、なかなかバスを追い越せない。
1つ、2つとバス停が過ぎて行った。まだバスは前を走っている。
イライラしている彼女の様子が伝わって来る。

どういうわけか、もしバスに追い付けなかったら、幼稚園まで送って行こう・・・と思いはじめていた。そう、母親の必死さがそうさせてしまった。

やっと、バスに追いついた。
ドアが開いた。

彼女は窓を開け、大声で、
“ ここに居るわ〜。今、バスに乗るからちょっと待ってぇ〜 ” と叫び出した。
気がつくと彼女はクルマから降り、バスを目がけて走っていた。

黒い麻のパンツスーツのいで立ち、オシャレで可愛らしい女性が、髪をふり乱し、大股で突進していた。

私を見ずに、ただただ大声で “ GRAZIE ” と叫んでいた。

ほんの数分の出来事だったけれど、彼女のバスに飛び乗った姿が目に焼き付いた。凄いなぁ〜。

母は強し。

そんな “ 母 ” に少しでも協力出来た、女性の連帯感を感じた数分だった。

もっと下げて!

greencross.jpg

数ケ月前のこと。

時計が夜中の12時を回る少し前、急に胃と腸がおかしくなった。
救急車を呼ぶほどでもない、でも痛くて仕方がない。
薬を探したが、良さそうなのはどれも期限切れ。
そうだ、夜中でも救急病院の側にある薬局なら開いている。
痛むお腹をかばいながら、トボトボとひとり夜道を薬局へ。

ここイタリアでは、薬屋とか薬剤師にはステータスがある。薬屋を開くためにライセンスが必要なのは日本と同じだが、そのライセンス料が物凄く高い。だから薬屋を開くには大金が必要。結果として、イタリアでは家族代々続いている由緒ある薬屋が多くなる。

さて、私が薬屋に着いた時、お客さんが一人。
薬剤師は店に一人しかいなかった。
やがて私の番になり症状を説明する。

その薬剤師、白衣の下からのぞく黒々とした胸毛が気になった。重そうな金の十字架のネックレスも光る。顔立ちははっきりしていて南イタリア系。アイラインなしでも目の回りはくっきり。眉毛も太くて凛としている。まつ毛は瞬きする度に音がしそうなほど長く、クリンとしている。映画に出てくる濃いキャラの俳優のよう。丁度、ゴッドファーザーの映画を観たばかりだったので、シシリーのマフィア軍団を思い出してしまった。

彼は、クリンとしたまつ毛を動かしながら私の話を真剣に聞いてくれた。まるで昔からの恋人のように。

”そうかぁ、そうかぁ、” と頷く姿を見て、心が繋っているんだと素直に喜ぶ私。
すると彼は ”中に入って” と手招きをする。
その頃にはもう一人、お客さんが入って来た。
”なぜ中へ?” と疑問を感じたが、薬剤師は立派な仕事、他のお客さんも待っている。
中の部屋ってなんだろう???
でも万一何か起こっても、私は大人。外にはお客さんが並んでいる。大丈夫だ!と思い、中の部屋へ。

薬剤師の一言、”お腹がどういう具合か触ってみよう” 。
その日、私はパンツズボンを履いていた。
彼は立ったまま私のお腹を触った。
”う〜ん” と言いながら、”ちょっとお腹を出してみて”
”え!”
”ちょっとズボンを下ろしてみて”
”ドキ!”
でも薬剤師は立派な人、間違いを起こすはずはない!
言葉通り、チョロっとズボンを下ろす。
”もっと下げて” と薬剤師。
目の前にある胸毛がやけに男を主張している。金の十字架も胸元でユラユラ揺れている。
”何だコリャ!”
薬剤師が触診?
でも、ここで私は思い直す。
彼は本当に優しい人。私のためを思って症状を確認したいのだろう、と良い風に解釈する私。

”ええい! ズリっとズボンを下ろす”
薬剤師はやっと満足したような顔をした。
そして剥き出しになったお腹を触診した。
”大丈夫、大したことはないよ”

南イタリア人の人なつっこい顔で微笑んだ。

”大丈夫”、この言葉で私は安心した。
でも、”もっと下げて” の言葉・・・変なの、変じゃないの??

そして彼は沢山の薬を勧めてくれた。
何だか、この人は私を本当に心配してくれているのだと思えるようになって来た。そして、思わず勧められた薬をゴッソリ買ってしまた。瓶一つ一つに丁寧に、朝、昼、夜と飲む量を手書きで書いてくれた。

そう、4〜5日は真面目に薬を飲んだと思う。そのうち、いつものようにほっぽり投げてしまった。

その瓶は我が家のドアを開けて直ぐのテーブルに置いてある。そして、それを見る度に、夜中の奇妙な体験を思い出す。

”もっと下げて”という声が今でも私の中を駆け巡る。

YouTubeの時間

karaoke.jpg


昨日、友人のS家にお邪魔した。美味しい夕食の後、長い付き合いのA子とPCの前に2人で座り、YouTube をクリックする。何を隠そう、”YOU TUBEの今宵”は、今やA子と私の間では恒例行事になっているのである。既に夜の10時はとっくにまわっている。私達がこのPCカラオケ体制に入ると、つれあいのTさんはいつも呆れて自分の部屋に引き籠ってしまう。彼は大のクラシック好き。歌謡曲はどうも嫌いらしい、でも嫌いと言うと怒られると感じているのか、何も言わず「おやすみなさい」で退散する。

今回の”今宵”、まずは美空ひばりから。デビュー当時からお葬式まで。亡くなられた時はなんと52歳とのこと。52歳と言えば・・・松田聖子ちゃんも50歳くらいだろうか。美空ひばりさんの52歳からみたら、聖子ちゃんは30歳くらいにしか見えない。まるで大人と子ども。それにしても美空ひばりさんの歌にはしびれる。PCの画面に合わせてA子と「愛燦々」を何回も何回も歌った。出だしのところが妙に難しい。いつも二人で首をかしげてしまう。私達は音痴なのかも知れない。でもそんなことはどうでもいい。2人だけなのだから。

A子は姐御肌。姐御肌の人の特徴かも知れないけれど、いつも歌にこぶしをきかせる。どんな曲にもこぶしが入って来る。彼女は背が高くて足が長く、昔は萬田久子に似ていたらしい。学生時代から心は任侠。とことん真っすぐで、義理と人情の人。”今宵”が始まる頃には化粧っけもなくなり、髪はアップ。アルコールも入ってかなりいい気分になっている。世間を気にしないその辺のオバサン風になっているのだが、PC画面を見る目は真剣だ。こぶしをきかせながら実に真剣に歌う。こぶしというのは習うものではないと思う。その人に生まれながらにして備わっているのではないだろうか?A子を見て私はいつも感心する。演歌歌手にでもなっていたら迫力があったろうに・・・。演歌歌手がこぶしを決めた後、最後に首を縦に小刻みに揺らし、目の焦点を何処かに合わせ、手を差し伸べて、目をちょっと細めにしながら微笑むしぐさ、想像してみてください。A子は本当に楽しそうなのである。

美空ひばりさんからクリックを続けて行くと、どういうわけか1968年のレコード大賞オンパレードになってしまった。凄い、凄い。多分みんな20代そこそこなんだろう。でも髪型はすっかり大人の女。やけに大人っぽい衣装を着て、愛だの、死ぬだの、命だの、と心にどすんと響く歌詞を嗚咽しながら全身全霊で歌っている。時々、「アハン」とか「ドゥビドゥ ビ」と妙に色っぽい。みんな本当に歌詞の意味を分かっているのだろうか?どんなに大人っぽくしても、どこかに残るあどけなさが一瞬の表情に現れる。男性もそうだ。甘えん坊のような顔をして、世の中の酸いも甘いも噛み分けたように歌っている。ちぐはぐだ。が、だからと言って馬鹿にしてはいけない!うまいのだ、歌が物凄くうまい。みんな、歌に魂を乗せて一生懸命表現している。心が動かされる。あの頃の芸能人は皆、早く大人になりたかったのだろう。今、映像を見るとその真っ直ぐな背伸びがなかなか新鮮だ。由紀さおりでブレークした1969年。この頃の日本の音楽業界は世界中からいろいろなジャンルの音楽を取り入れて、歌も人もキラキラしている。それにひきかえ、今の流行歌は何となくみんなどこか似ている。ファッションも似ている。歌い方も似ている。当時の歌手達は一人一人が違う。それぞれが自分の世界観の中で生きている。アイデンティティがしっかりしていたのだろう。

それから数年経って70年代に入ると、歌の世界も大きく変わっていく。そう、アイドルだ。この辺から日本の経済がグンと伸びはじめて来るのだろう。暗く重い時代を過ぎて、世相も徐々に明るく、軽やかになっていく。やけに大人ぶっていたオンナ達の60年代から、一挙にポワ〜ンとした可愛らしいオンナの子たちがメディアを覆うようになる。歌には魂ではなく、あどけない笑顔が必要不可欠になっていく。 歌のうまさなんて二の次だ。今見てもあの時代のアイドルはホントに可愛い。思わず私達もXXチァーンっと叫びたくなってしまう。あの頃の振り付けは単純で可愛かった。こんな私でも簡単にできるのだ。交通整理のおじさんの身振りを研究したら何とかなる。時々、首をかしげながらチョコっと微笑んで・・・。

A子との YouTube カラオケタイムはこの辺の時代で終わる。何を隠そう、今はやりの歌は知らないのである。私達はいつも同じ年代のところをグルグル、グルグル、袋小路のようにウロウロしている。”懐かしの歌 オンパレード” だ。ただ、2人で声を揃えて驚くのは、” あの人は今 ” を見た時。何十年もの歳月が過ぎると、それなりに顔にも歳月の重みが刻まれるはず・・・が、歳月の重みではなく、何回もメ スやら注射が入っていそうな奇妙な ” 顔 ” がちらほら。最近のTVはそのグロテスクな姿を鮮明に映し出してしまう。えっ!と驚くのはマイケル・ジャクソンだけではない。ここ、日本にもいるのだ!まるで別人だ。60〜70年代、当時の整形技術のレベルがうかがえる。

何事も真剣に取り組むと疲れるものである。数時間もすると歌い飽きて、段々と眠くなる。A子と私にはそれぞれ「締めの歌」がある。お互い心に染み渡る歌があるのだ。それを選んで涙を流して大声で歌う。A子は「池上線」を歌う。何の変哲もない曲、パンチがあるわけでもないし、歌詞が特別と言うわけでもない。でも何故が彼女の締めはこの曲なのだ。ふっと隣を見ると、泣いている。私の締め曲は・・・秘密。時計は12時をまわり、もう シンデレラどころではなくなる。まあ12時までに戻れなくても、ガラスのハイヒールなど履いたことのない私。(ハイヒールと言えば、ここ2〜3日、あの有名なフナ底式になっている健康靴を購入したものの、 履けば履くほど腰が痛くなる。今日はついにマッサージまで頼む羽目に なってしまった。)

カラオケタイムが終わると、次は YouTube でラジオ体操だ。昔、夏休みに朝6時に起きて、近所の学校の校庭に行き、みんなで参加したあのラジオ体操。夜中の12時を過ぎて朝のラジオ体操とはちょっと首をかしげるが、私達のお決まりのコースになっている。不思議なもので、無条件反射のように結構覚えているものなのだ。

これから先、何十年経っても、生きている限り、A子と私はPCの前に座り、60〜70〜80年代あたりをウロウロしていることでしょう。でも、過去ばかり振り返っていてはいけないんだ!そろそろ今はやりの歌も歌えるようにならなくては!でも、最近の歌は私達には難しい・・・。
次回の”今宵”には何か新しい企画でも盛り込もうと思う。さて、何にしようか・・・。

機上の痴漢

kijou.jpeg

今回は、私が経験したかなり強烈な “痴漢” の話です。

ミラノから成田へ向かう機上での出来事。
私の場所は、足がある程度伸ばせるものの、前に壁がある窓際の席だった。シートは3人がけで窓際が私、真ん中がおじいさん、通路側がツアーコンダクターの日本女性。
このおじいさん、痩せていて、物静かで、寂しそうな眼をして、とにかく哀れな雰囲気を醸し出していた。おじいさんは席に着き、ゴソゴソと動き始めた。シートベルトの掛け方が分からなかったらしい。私は手を差し伸べ、ガチャっとシートベルトをかけてあげた。そしてニコっと微笑んだ。その後、離陸してからもおじいさんへのケアは続く。このおじいさん、テーブルの出し方も、背もたれの動かし方も、映画の見方も全く分からないようだった。いつもゴソゴソと動いていた。そのゴソゴソが私の心を動かした。私は年寄りに弱い。そう私はおじいさんを見るとついついお手伝いをしてしまう。お礼とともにおじいさんはか細い声でゆっくりと自分の人生を語り始めた。歳は73歳で、生まれも育ちも福島。家族は妻と娘二人。娘は嫁いで、今は妻と二人で生活している。この旅行は夫婦で参加。海外旅行が唯一の楽しみだと。そんな話をフンフンと聞きながら30分ほどが過ぎた。それからしばらく経って食事も終わり、私は「さあっ」と寝る体制に入った。

どのくらい寝ただろうか、フッと気づくと、な、な、な、なんと!おじいさんの右手が私の足の間をまさぐっているではないか!ギョ!思わず私はビシっと手をはねのけた。「何をしているんですか!」おじいさんは、急に機敏になってスっと手を引っ込めた。逃げる時の運動神経はあるようだ。何を話してよいのやら・・・、私は眠ることに集中した。しばらく経つと、今度は耳元で「すみません、年甲斐もなく、あんなことしてしまって・・・。」ベトベトした、か弱い声で囁いて来た。ギョ〜!今度はホントに気持ち悪い!

私はすぐに席を立った。後部座席に座っているキャビンアテンダントに救いを求める。そうしたら、「え、お客様、あのおじい様の娘さんか、ご親戚の方ではないのですか?」っと彼女もビックリ!きっと誰でも驚くでしょう。か弱そうで、可哀想なおじいさんが、痴漢なのですから。すぐに彼女の上司がやって来て、「お客様、あちらでお話しましょう」っと、カーテンで仕切られた小さな部屋に通された。機上では、カーテンをただ閉めるだけで部屋になってしまう・・・魔法のようだと感心した。「お客様、どうしましょうか。この事件を訴えますか?それともこのままにしますか?」とのこと。

ここで訴えた場合、機上で事情聴取が行われ、着陸した段階で警察行きなのだそうだ。おじいさんもこのカーテン部屋に連れて来られるのだ。さあ、どうする?・・・。おじいさんは73歳。楽しみにしていた海外旅行、それにこの機上のどこかの席に奥さんがいる。警察行きとなったら大変だ。七十過ぎの長い夫婦生活、もう安泰だと思っていたのに、信じていた夫が機上で痴漢!私の一言で、この老人の人生が狂ってしまう。犯されたわけではない、右手が私の太ももを這っていただけじゃないか・・・と自分に言いきかせる。そして私は言った。「いいえ、今回は結構です。席だけ交換して頂けたら十分です。」するとアテンダント氏は、「でもお客様、女性の立場として、どんなにお年寄りでも訴えた方がよろしいのではないでしょうか、その男性はこの先も続けるかもしれませんよ!」っと。それでも「結構です」と断ると、「お客さまは本当に優しい方なのですね」と褒められてしまった。そうかぁ、私はそんなに優しいのかぁ・・・と自分で納得。

自分のことより、その老人夫婦のことを考えてしまった。もし自分の父親がそんなこをしたら・・・。もし人生ずっと添い続ける約束だった老夫婦に亀裂が入ったら・・・。何も盗まれたわけでもないし、手が動いてしまっただけ、ちょっとした気の迷いだったんだと思うことにした。

しかしである、あれから何年も経った。が、今でも耳元で囁かれたあの気持ち悪いベトベトした声が聞こえてくる。そして思う。「あのおじいさんは絶対、痴漢常習犯だ!」っと。一緒に奥さんと旅行していたと言っていた。普通、夫婦は隣の席になるのに、何故?やっぱりあのおじいさんは変だ。最初の30分のいたれりつくせりで、おじいさんに「この女性は何をしても許してくれるだろう」というイメージを与えてしまったのだろう。別に私がセクシーだったわけではない。私は機上では必ず、鞭うち症用の頑丈な首ギブスをはめている。セクシーなはずはない・・・と思う。よほど変な趣味がない限り、誰も首ギブスにはときめかないだろう。

なにはともあれ、あのか弱いおじいさんは今でも何処かで “痴漢業” を営んでいることだろう。男性にはいくつになっても気を緩めてはいけない!特に、か弱そうな男が危険かも。

でもそれからは、その航空会社に乗る時は広い席を取って貰えるようになった。この痴漢話をすると皆、驚き、申し訳ありませんと言ってくれる。私はあの席は “死角” なので危険だと思うと言うと、納得して広々とした席にしてくれるのだ。“右手の徘徊”のおかげでゆったりとした席に座れるようになり、快適な旅が出来るようになった。

おじいさんの家族に亀裂は入らず、そして私にも良いことがあった“機上痴漢”の物語。 福島のニュースを聞く度に、あのおじいさん、どうしているかしらと、妙に懐かしくなるお話でした。

戦闘開始!

010412.jpg
注:写真はイメージで、この記事と直接の関係はありません。

みなさん、こんにちは。
今日は先日書いた、下の階のクラブの話。

そうです!この建物の住民は立ちあがりました!先日、夜9時から臨時集会がスタート、そこにクラブのオーナーも参加、進行役はこのマンションの管理者。話し合いは2時間。ただ一言。” 疲れた・・・”
この建物には、13家族が暮らしている。このクラブが出来るまでは、みんな静かに静かに暮らしていた。建物は約200年前に建てられたもの。ところがクラブの出現で平穏な生活がガラっと変わってしまった。

出席者は10人。そのうち4人が女性。クラブのオーナー(30代男性)にみんなが寄ってたかって、目を吊り上げて文句を言う。 特に3人の女性が一番目を吊り上げていた。一人は50代後半の独身。彼女は不動産関係に勤めているので法律に詳しい。もう一人は、離婚歴1回の40代。PRの会社を経営している。そして三人目は23歳の大学生。何しろこの3人の戦いが面白かった。独身と言うのはこんなにも、戦いたがるのか!

戦いのアドレナリンが漲っている。声は大きい、目はギラギラ、ジェスチャーが演技力に拍車をかける。4〜50代の女性は分かる。もう更年期にさしかかっているので、こういうこともあるだろう、でも23歳といえば青春の真っただ中。その彼女も大きなジェスチャーを交え、足を組みながら戦ってた。株の世界で生きて行くらしい。この勢いだったらどんな世界でも大丈夫だろう。バトルの混乱を収めるために、管理会社のX氏が大声で舵を取ろうとする。クラブのオーナーも負けてはいられない。何しろ、彼はこのクラブに多大な投資をしているから。部屋の中は5人の大声が重なって響いている。男たちはシュンとしてこのバトルを見入っている。

結局の着地点は、音量を下げること、2時には閉めること、その他諸々。
私は・・・と言えば。
その夜はあまりにも疲れていたので、声合戦には参加せず一人で瞑想の世界へ。体力がなかったので目くじらを立てた戦いには参加出来なかった。正直、この部屋の騒音は夜中のクラブの騒音よりもしんどかった。

最後に、クラブのオーナーが退散してから、住民結束隊は、携帯の番号は渡すな、クラブのお客になるな、決してオーナーから奢りには誘われるな・・・が鉄則となった。鉄則?・・・。私は既に携帯番号を彼に教えてある。いつかは朝食でも食べに行こうかと思っていた。家に下にBARがあると(朝と昼はBAR) 便利なので内心は嬉しかったのだが。鉄則を破ったら、みんなに何を言われるか分からない。

さて、これから先どうなるのだろうか?
今夜も下の音は最高潮に達してきた。まだ23時半。クラブが本格的ににぎわうのは夜の12時過ぎから。まだまだこの騒音は続くだろう。

夜中の2時を回った頃、男性が言い争う大きな声で起きてしまった。もしや2時に店を閉めなかったので、住人の男性達が殴りこみに行ったのかもしれない。昨日の会議ではシュンとしていた男性軍、体を使っての勝負には俄然強い。争いは20分くらい続いただろうか。騒音は無くなり、静かになった。住民側に軍配が上がったのだろう。金曜日の夜といえば、クラブにとっては稼ぎ時。大きな投資をしてしまったこの若いオーナーはこれから先どうなるのだろうか?大きな音で音楽はかけられない、2時には閉めなくてはならない。クラブとしてやって行くにはなかなか難しそうだ。

自分の生活を守るために、体を張って頑張る人々。人間、やっぱりこうやって権利を獲得していかねばならないのだろう。

義援金とは言うけれど

bokin.jpg


もうすぐあの日。そう、3月11日がやってきます。
世界中の人々の心に刻まれた大惨事が起こった日。
あの日から今日まで、いろいろなところで目にしてきた言葉。
「ボランティア」「チャリティ」「義援金」「寄付金」「支援金」・・・。

自分にも何か出来ないかと 、ひとり一人の ”心” が動きだし、世界中の ”心” が大きな善意の波となって日本にやって来た。昨年、私も被災地のために義援金活動を行った。企画から運営までかかわったけれど、その中で感じたことがある。

みなさんは寄付されたお金が何処へどういうかたちで送られるか知っていますか?
集められたお金の何%が実際に寄付に回されるか知っていますか?
ただチャリティという言葉を見聞きするだけで、無条件で募金をしてしまう人も少なくない。善意の発露は素晴らしいと思うけれど、さてそれだけでいいのでしょうか?

私は寄付をする時、「いくら集まったか」「何処に寄付するのか」「何%が義援金になるのか」ということが気にかかる。これは寄付する側として知っておくべきことだと思うし、また知る権利があると思う。だから私は寄付する前にはこの質問をすることにしている。でも実際のところ、はっきりと答えられるボランティアの人は少ない。たとえ集まった金額が報告されても、その中からどのくらいの金額が義援金に回ったかまで明らかにしている団体は少ないように感じる。よく大々的にTVでチャリティ・イベントが行われているけれど、私としては経費にどのくらい充てられたか、決算はどうなっているのか是非知りたいと思う。

私は、第三者機関にチャリティ活動の実態調査をしてもらいたい。ちなみに若し既にあるようでしたら是非、教えてください。また、その上でチャリティ活動をするにあたって遵守すべきある程度の基準をつくっていただきたい。例えば「義援金」や「寄付金」という言葉を使用する際には、入金した金額の何%を何処に寄付するかまで明確に表記することを定めたらどうだろうか。主催者やその連絡先の明示も必要だと思う。

お金がどのような仕組みの中でどのように動いているのか?みんながこの問題意識を持っていると、募金する側も寄付する側も双方に信頼関係が出来て、ボランティア活動が一層真摯なものになると思う。最近、義援金目当ての詐欺も横行しているとか聞くにつけ、あらためてその思いを強くする。

みなさんはどうお考えですか?

真夜中のズンズン、ガンガン

bar.jpg

先週、私の家のアパートの下にクラブがオープンした。クラブといっても ” 銀座のクラブ ” のようなものではなく、音楽をガンガンかけて飲んだり、踊ったりするところである。さあ、大変!私にとって静かな夜のひと時はとっても大切。し〜んとした中で思いに耽ったり、書きものをしている時間は至福の時。音楽も一切かけない。遠くの方から聞こえてくる真夜中の人の会話、車が走り去る音、時には雨の音、サイレンの音が聞こえて来る時もある。家の中にいながら、聞こえてくる音を頼りに外の出来事を想像するのが何よりも楽しい。こんな深夜にも人々は生活しているんだな・・・と思いに耽る。

ところが、私のその大切な ” 空想の時間 ” が破壊されてしまった!ドンドンドドン!、ドンドンドン!!と地の底から駆け上がって来るような音が心臓に、いや体に響く。それが何時間も続く。そしてクラブの前にたむろしている人達のはしゃぎ声。これでは空想もへったくれもない。このクラブが入る前にあったお店は奇妙な雰囲気のクラブだった。いつも不思議な人が出入りして、一体中で何をしているか全く分からなかった。そのオーナーはひどい人だった。工事中、余りの振動で私の家財道具が棚から落ちて来て損害を被った。それをオーナーに直接抗議したら、「アパート管理組合に行ってくれっ」と、自分にはまったく責任がないように答えた。私も諦めて損害賠償は手つかずのままになっている。 こういうイヤな経験があるものだから、今回は現場勝負にしようと思った。うるさい時に下に降りて直接抗議。綺麗でファッショナブルな若い男女の中に、突然、普段着で化粧っ気のない女性が飛び込んで来たのだから、” 変な女が夜中にあらわれて文句を言ってるなぁ〜 ” くらいにしか見えなかったのかもしれない。まあ、自分の居場所を守るためには、どう思われても仕方がない。彼らは「直ぐに音を小さくしますから・・・」と謝った。だが私の直談判もむなしく、その後も夜中の3時までズンズン、ガンガンと鳴り続けていた。

そして2日後、遅くに帰宅し、さぁこれから本を読もうかと思った時にまた大きな音が鳴りだした。30分我慢した。でもどうしても我慢ならなくなり、階下へ直行。既に夜中の2時を過ぎていた。いつものスッピンスタイルだ。今度は若いオーナーが出て来た。そして「防音装置を付ける。たくさんの経費がかかるが、上に住んでいる人達の生活を守る」と語った。若いオーナーが真剣なまなざしで見つめてきたので、それまでの自己防衛の精神から、若者を思いやる側へと私の考えが変わってしまった。

私の好きな ” し〜ん ” とした空間を得るには、旅に出なければならなくなってしまった。一方クラブは繁盛し、夜中までズンズンガンガンが響き渡る。いくらオーナーが若いといっても約束は守らなくては。そのうちまた、階下に降りてガツンと言わなくては・・・と毎日、耳をダンボにしている。

あれよあれよと言う間に

gariban.jpglp.jpgrupo.jpg


今日は、何となく昔の暮らしのことを考えていた。
小学生の頃はガリ版というものがあり、当時、学校新聞はみんなで手を真っ黒にしてガリ版刷りをしていた。そして蛍光塗料ペン、これは学生にとって画期的だったのを覚えている。そうこうしているうちに、コピーが街のいたるところで活躍。これも学生にとっては最高のプレゼントだった。レコード盤からCDへ。初めてCDを見た時、こんなもので音楽が聴けるのかと思った。でも、今ではCDからMD、そしてPCへと移行している。タイプライターからワープロへ、そしてこれも今ではみんなPC。カメラはフィルムだったが、今やフィルムを使用している人はどれだけいるか?みんなデジタルだ。FAXなんていうのもあった。携帯電話も夢の世界だった。出始めの頃は大きかったけれど、自分で小さな電話器を持ち歩けるなんて、誰も思ってもいなかった。そしてやっぱり、技術革新の王者はコンピューターということになるのだろう。今では全てのものが、PCへと集約されて来ている。

一般家庭の生活の中にも、こうやって科学技術が入りこみ、人々の生活が合理的に、そして楽に、簡単にと変化して来た。これは私達の生活にとって良いのか悪いのか。新しいから、楽だからと私達は飛びつく。知らず知らずの間に、私達が使っていた、ともに過ごしてきた物や時間を失ってしまう。そして時が経つと忘れてしまう。” あれ、どうやって使っていたのかな、こんなものあったかしら?”と。時代はあれよあれよと言う間に、変化して行くのである。

1700年終わりから1800年にかけて市民革命
1800年終わりから1900年にかけて産業革命
1900年終わりから2000年にかけて情報革命
時代は100年ごとに大きな変化を遂げている。いくつかの戦争の後、1989年にベルリンの壁が崩壊してから、世界の情勢が変わった。共産主義、社会主義が次々に倒れていった。コンピューターの登場によって人々の意識も大きく変わった。そして情報革命に突入。ここ数年、異常気象による大災害が世界中で相次いでいる。この自然現象が心理的により一層の不安を抱かせ、時代の大きな変わり目を再確認させる。

” あれよあれよと言う間に ” の行程をじっくり観察しながら生活していこうと自分の中で誓った。目の前で何がいつどうやって変わっていったか。小さい波が徐々に押し寄せて来て、それが日常の波になり、いつの間にがすべてをさらって新しいものにとって変わる。それによって物に対する価値観も変わってくる。

科学技術の進歩とは一体、私達に何をもたらすのか?この勢いで進んでいくと、人間が人間の機能を果たさなくなるのでは?実際、ナビゲーションを使い出してから、さっぱり土地感覚が無くなった。計算は直ぐにPCが答えを出してくれる。もう暗算も出来ない。携帯電話が無かったら待ち合わせも不安になる。私達の生活はPCに支えられ、守られて暮らしている。守られているということは、裏を返せば、コントロールされているということ。

でもマイナスのことばかりではない、技術の発達により、世界中とのコミュニケーションが瞬時に出来るようになった。これによって世界中のあらゆる情報が何処にいても集められるようになった。それは医療関係、化学関係、物理関係、工学関係、ありとあらゆる分野に革新的な影響力を与えた。これも情報革命の波の中で起きたこと。

時代の流れが大きく変わる中、企業は本当に大変だと思う。世界の動きを長いスパンで見て、挑戦していかなければならない。決断に少しでも狂いがあったら取り残される。そしてどんなに大きな企業でも、世の中の流れを見間違えたら消滅してしまう。事実、今、” 絶対安全 ”だった企業がドンドン潰れている。

数年後、私は一体どんな生活をしているのだろうか?車は持たず、携帯とPCだけで生きているかも知れない。または、人間のプリミティヴな生活に目覚め、山奥で生活しているかも知れない。でもその頃は自分の健康問題も考えなければならない年齢なので、さてどうなることやら・・・。どちらにしても、時代の大きな変化を自分の目で見られる、そして体現出来るのだから幸運だと思うようにしよう。

時代の大きな流れに乗ってみんなと同じ方向を向いて行くのか、大きな流れの中に身を置きながら、自分の意思で自分の生き方を発見するか。目の前に分岐点が来た時、自分の意思で前に歩いて行ける強い精神力を持っていなければと思う。私は家に帰ると毎日、長い時間、壁に向かって考え続ける。それを繰り返すことにより、たとえどんな小さな問いでも自分で答えるようになる。常に自分の行動の” 理由 ”を知っていれば、何があってもぶれることはないと思う。私の家の壁は、そんな私の自問自答をずっと見続けている。

ジムで人間ウオッチング

salecorsa.jpg

最近、またジムに通い出した。このまま何の運動もせずに毎日をダラダラと過ごしてはならぬ! 今年から心を入れ替えて、時間がある時にはわずか1時間だが体を動かすことにした。やっていることは、簡単なストレッチの後、ランニングマシーンに乗って歩くだけ。だから今のところは1時間で十分だ。

ジムに通う楽しみはもう一つある。人間ウオッチング、これがなかなか面白い。このジムに来る人達の一番の目的はもちろん体を鍛えることだろう。でもそれに次ぐ目的が異性ハンティングだと思う。まず、トレーナー達の多くはマッチョで体のいたるところに刺青がある。トレーナーというよりオトコの集団。彼らは ”美”に弱いらしい。いつも美しい女性の周りに満面の笑顔で集まっている。砂糖に群がる蟻のように・・・。そうでない人(私はこちらの方)にはそっぽを向いてなかなか近くに来てくれない。

女性用更衣室。中に入って来る姿を見ると、スポーツ真剣派なのかハンティング派なのか、すぐに想像がつく。流行の服や靴、バックを上手に着こなしてかっこイイ!と思わず見とれてしまう女性たち。そういう女性はスタイルが良く、足が長く、胸の形もよい(整形かも知れない)。よく見ると、唇がいま流行りでプクっと膨れている。自分に自信があるのか、スタスタと真っ裸で皆の目の前を歩く。これからハンティング!という闘志が覗える。これがハンター派。

かたや自分の外観には全く興味がない・・・という素振りで入って来る女性たち。お化粧もせず、髪もバサバサ、ウエアーもブランドなど関係なし、着られればよい。脇見もせず運動に没頭して汗を流し続ける。こちらはスポーツ真剣派。どんなに男性が近寄って来ても自分の目標に没頭する。その姿がカッコイイ。

更衣室に長時間いると、ここでも日本人とイタリア人の違いが出てくる。日本人は隠れて着替え、イタリア人は堂々と脱ぐ。そしてヌードでそこら中を歩きまわる。そんなに自分の姿に自信があるのだろうか?日本人の凹凸の無い体に比べ、欧米人のボディはラインにメリハリがある。造形としては本当に美しい。ただ、やっぱり東洋人の方が、髪にしても肌にしても触感が ”美しい”と思う。どちらにしても、オトコもオンナもお互いに異性の求めに合わせるように変化していくのだと思う。 西洋と東洋、ここでも格段の違いがありそうだ。
今日久しぶりにビックリしたのは、私の前に座った更衣室の女性。真っ裸だ。突然体中にクリームを塗りだした。私の目の前で足を広げて! 流石の私も目の置き場に困った。まわりの目は一切気にしないのか、または単に見せびらかしたいのか?

ハンター派、スポーツ真剣派といろいろな人がいるけれど、イタリア女性はいくつになっても女性であることを意識しているのがよく分かる。70歳の皺シワのオバアさんでも、女性としての自覚を持ち、それなりに女性の色気を発散させている。どうしてだろうか?これもやはり異性である男性が、いくつになっても相手に「女性」を求めているからかも知れない。そう言えば、イタリアのおじいさんはまだまだ男性として魅力的で、いろいろな面で精力的に頑張っている。そんなおじいさんの気を引きとめるには自分も「女性」であり続けなくてはならないのだろう。

何はともあれ、ジムでの人間模様は動物的で面白い。明るい光のもとで魑魅魍魎の世界が繰り広げられている。事実、私の友人はプールの指導員と恋をして、夫を捨て、全てを捨ててその人に向かって行った。また、他の友人は夫に隠れながらトレーナーを自分の恋人にして ・・などなど、いろいろなケースが飛び交っているのは確か。みんなジムにそれなりの目的で来て、ハラハラ、ドキドキで人生を謳歌しているのだろう。私は取りあえず、スポーツ真剣派としてジム通いを続けようと思う。

本来ならば、私がジムでやっていることは家で一人でも十分に出来ること。でも一人でストレッチをしたり、歩くことを続けるのはなかなか難しい。だから私はお金を払ってジムに通うことにした。そんなことに出すお金があるのなら、もっと人のために何か・・と自分でも思う。でもそんな自分に負け、ジムを優先してしまったため、”人間ウオッチング”という名目を自分の心の中に掲げたのである。何となく自分を正当化するために。まだまだ私は弱いなぁ。

文化とは体で感じるもの

folk.jpg

往年の日本人歌手が海外公演をする。日系人相手の公演はいつも満席で、会場のそこかしこから涙をすする音が聞こえてくる。海外に長く住んでいる日本人が、昔の日本の歌謡曲を聴いて涙する。かつて日本に住んでいた頃、私の眼にはテレビに映るこの光景が不思議に見えた。

ところが気がついてみると、最近私が聴くのは青春時代の歌ばかり。私が小さい頃に抱いた不思議を今度は自分が辿っている。今、やっとあの日系人たちの気持ちが理解出来たような気がする。

流行歌は暮らしとともに生きている。わざわざ耳を傾けなくても、時代の象徴として街のいたるところで流れている。だから知らず知らずのうちに歌が体の中に染み込み、体の一部になってしまう。曲が流れると、過ぎ去った時代の匂いが、感覚が、色が蘇ってくる。外国生活が長いとはいえ、ここイタリアは自分が生まれ育った土地ではない。文化の違い、言葉の違いは、無意識のうちに不安感をつのらせていく。そんな時の逃げ道は、心のやすらぐ場所、" 昔の思い出 "に浸る・・・ことなのかもしれない。青春時代の曲を聴いて、記憶の世界に没頭することが束の間の幸せとなる。

イタリアの懐メロを耳にしても懐かしさを感じることはない。その時期にその曲とともに暮らしていないからだ。イタリア人同士が集まり、昔の流行歌を大声を張り上げて楽しく歌っているのを見ると、いつも疎外感を感じてしまう。

文化を知るということは、ただ単に本を読みあさることではない。文化は頭に入れるものではなく、体の中に染み込んでいくもの。その場所に住み、土地の人達とふれあいながら日々の暮らしを送る。その土地の営みに身を置いていると、文化は暮らしとともに少しずつその人の体に染み込んでいく。文化は語るものではなく、体で感じるものなのだと思う。
前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。